行者そば 梅庵 [風景など]
オッサン(もとへ、ナイスミドル)は麺好きである。
信州人らしく蕎麦も好きではあるが、あまり外では喰べない。
全国各地であることだと思うが蕎麦処信州と雖もどの店で喰べても美味しいと云う訳にはいかず、明らかに価格設定が観光地価格になっていることもままある。
自分で茹でて喰べた方が満足度及びコスト・パフォーマンスが格段に良いので専らクマガイ製麺の古城そばを喰べている。
外で喰べるとなると何かプレミアか切っ掛けが無いとなかなか機会が無いねぇ。
別に通ぶっている訳でも無く意外と駅蕎麦のチープな感じのかけソバが良いような気も.........。
あれこれ言いつつ上伊那には手頃な価格で蕎麦好きを唸らせる店が無い訳では無い。
市街地にも優良店が幾つかあるが、今回は観光客も満足できるロケーションにある「行者そば 梅庵」を訪ねる。
中央道伊那I.C.で降りて右折、高速道路の下を潜り信州大学農学部の前を過ぎて暫くすると広域農道にぶつかる。
今度は左折して道なりに進む。左手に産直市場グリーン・ファームが見えたら次の信号「ますみが丘南」を右折して進むと4km程で目的地に着く。
ところどころ道が狭くなるが看板が出ているので迷う心配は無いだろう。
右折指示で細い道を少し進むと道路脇に駐車場が用意されている。
訪問は10年ぶり位かも知れん。
軒先に吊るされた干し柿が良いネェ。
店内へは靴を脱いで上がるので穴の開いた靴下を履いていかない様にしましょう。
御品書きは太打と細打から選ぶ。鴨南蛮も結構ファンがいる。
店名にもなっている太打 行者そばと細打 もりそばをそれぞれ並盛りで注文。
勿論一人で喰べますよ。
自分を含め蕎麦好きの多くは冬でももりかざるを頼む。
仮に冬山か極地で遭難しかかっていても蕎麦はもりかざるだ。
これこそが蕎麦好きの心意気である。
くだらない事を力説しつつ蕎麦茶を飲んで蕎麦の登場を待つ。
順番は特に指定しなかったが先に細打 もりそばが来ました。
惹き包みの十割蕎麦で黒い粒々は蕎麦の殻に由来する。
先ずは蕎麦の味がわかるように塩だけで、という店員のアドヴァイスで塩をパラリとかけていただいてみる。
塩は島マースみたいなちょっとしっとりしたサラサラタイプ。
店によっては水だけが蕎麦猪口に入れられていて水蕎麦として蕎麦の味を見させるところがあるね。
細打ながら腰のしっかりとした蕎麦の香りを楽しむ。
次は塩と山葵でいただく。
こちらの方が更に蕎麦の香りが引き立つ感じがして好み。山葵万歳。
蕎麦のツユは鰹出汁の風味がガツンと利いたタイプで甘味は少ない。
山葵はツユに溶いてしまわないで蕎麦の上に置いで喰べた方が良いと注意書きがある。
1枚の蕎麦の量は結構あるので色んな喰べ方を試す余裕がちゃんとある。
喰べ終わる頃今度は太打 行者そばが来た。
うって変わって幅広の太い蕎麦はちょっと無骨な外観。
麺の太さの比較。
これも塩だけで先ずはいただいてみる。
細打よりも蕎麦が太いので香りが立ち難いかな。
行者そばの由縁は薬味と蕎麦ツユにある。
薬味は大根卸と葱、焼き味噌の三種。蕎麦ツユには大根卸の搾り汁が混ぜてある。
鰹節や昆布といった海産物の乾物ですら貴重だった山国ではこうして蕎麦や饂飩を喰べていたのだ。
本来は辛味大根の搾り汁のみに焼き味噌を溶いて喰べる。
同じ伊那市の高遠では高遠蕎麦の名で、北信の更埴(現:千曲市)ではおしぼりそば・うどんの名で同じような喰べ方をする。
この高遠蕎麦を巡る数奇な物語については以前概説したので興味のある方は御覧あれ。
辛味大根は山葵とはまた違ったピリッとした辛味がある。
細い蕎麦だと大根に負けてしまいかねない。
太打の蕎麦の歯応えと焼き味噌の素朴な風味、辛味大根の刺激は一種豪快な味わいを生み出す。
無骨な蕎麦は洗練された蕎麦と違った趣がある。
蕎麦湯で普通の蕎麦ツユと行者そばのツユを両方楽しむ。どちらも個性があっていいね。
冷たい蕎麦で冷えた体を、蕎麦湯で温める、これこそが蕎麦喰ひの醍醐味です。
折角ここまで来たのでちょっと寄り道。
自動車で1-2分上まで登ると駒嶽神社が右手にある。
最初見落として結構上まで行ってしまった。
夏タイヤだったので雪には少し焦った。
小黒川キャンプ場まで行ってしまうと行き過ぎなので注意。
此処の境内には「行者そば発祥の碑」が建立されている。
西暦700年頃役小角(えんのおづぬ)がこの一体で修行をしていた折、この地の人々に手厚くもてなされ、礼として一握りの蕎麦の実を置いていった。この蕎麦を守り伝えていくうちに信州に蕎麦が広まっていったという由来が書かれている。
行者というのは勿論、役小角を指しているのはいうまでも無い。
Wikipedia等によると蕎麦は最初蕎麦掻(蕎麦粉で作ったすいとんをイメージされたし)として喰べられていた。
所謂麺類としての蕎麦の形(蕎麦切り、切り蕎麦)になったのは信州の地という説があり、行者そばというか日本蕎麦の発祥を主張している碑なのである。
梅庵で蕎麦を堪能した後はこの碑の前で思いを馳せるのも良いだろう。
帰りは来た道を下るのだが、途中のY字路は左方向へ進もう。
何となく右に入ってしまいがちだが、これは来た道と違う。
右に入ってしまったら道路の下を潜る直前に左に曲がる交差点があるのでここから広域農道に復帰することができる。
信州人らしく蕎麦も好きではあるが、あまり外では喰べない。
全国各地であることだと思うが蕎麦処信州と雖もどの店で喰べても美味しいと云う訳にはいかず、明らかに価格設定が観光地価格になっていることもままある。
自分で茹でて喰べた方が満足度及びコスト・パフォーマンスが格段に良いので専らクマガイ製麺の古城そばを喰べている。
外で喰べるとなると何かプレミアか切っ掛けが無いとなかなか機会が無いねぇ。
別に通ぶっている訳でも無く意外と駅蕎麦のチープな感じのかけソバが良いような気も.........。
あれこれ言いつつ上伊那には手頃な価格で蕎麦好きを唸らせる店が無い訳では無い。
市街地にも優良店が幾つかあるが、今回は観光客も満足できるロケーションにある「行者そば 梅庵」を訪ねる。
中央道伊那I.C.で降りて右折、高速道路の下を潜り信州大学農学部の前を過ぎて暫くすると広域農道にぶつかる。
今度は左折して道なりに進む。左手に産直市場グリーン・ファームが見えたら次の信号「ますみが丘南」を右折して進むと4km程で目的地に着く。
ところどころ道が狭くなるが看板が出ているので迷う心配は無いだろう。
右折指示で細い道を少し進むと道路脇に駐車場が用意されている。
訪問は10年ぶり位かも知れん。
軒先に吊るされた干し柿が良いネェ。
店内へは靴を脱いで上がるので穴の開いた靴下を履いていかない様にしましょう。
御品書きは太打と細打から選ぶ。鴨南蛮も結構ファンがいる。
店名にもなっている太打 行者そばと細打 もりそばをそれぞれ並盛りで注文。
勿論一人で喰べますよ。
自分を含め蕎麦好きの多くは冬でももりかざるを頼む。
仮に冬山か極地で遭難しかかっていても蕎麦はもりかざるだ。
これこそが蕎麦好きの心意気である。
くだらない事を力説しつつ蕎麦茶を飲んで蕎麦の登場を待つ。
順番は特に指定しなかったが先に細打 もりそばが来ました。
惹き包みの十割蕎麦で黒い粒々は蕎麦の殻に由来する。
先ずは蕎麦の味がわかるように塩だけで、という店員のアドヴァイスで塩をパラリとかけていただいてみる。
塩は島マースみたいなちょっとしっとりしたサラサラタイプ。
店によっては水だけが蕎麦猪口に入れられていて水蕎麦として蕎麦の味を見させるところがあるね。
細打ながら腰のしっかりとした蕎麦の香りを楽しむ。
次は塩と山葵でいただく。
こちらの方が更に蕎麦の香りが引き立つ感じがして好み。山葵万歳。
蕎麦のツユは鰹出汁の風味がガツンと利いたタイプで甘味は少ない。
山葵はツユに溶いてしまわないで蕎麦の上に置いで喰べた方が良いと注意書きがある。
1枚の蕎麦の量は結構あるので色んな喰べ方を試す余裕がちゃんとある。
喰べ終わる頃今度は太打 行者そばが来た。
うって変わって幅広の太い蕎麦はちょっと無骨な外観。
麺の太さの比較。
これも塩だけで先ずはいただいてみる。
細打よりも蕎麦が太いので香りが立ち難いかな。
行者そばの由縁は薬味と蕎麦ツユにある。
薬味は大根卸と葱、焼き味噌の三種。蕎麦ツユには大根卸の搾り汁が混ぜてある。
鰹節や昆布といった海産物の乾物ですら貴重だった山国ではこうして蕎麦や饂飩を喰べていたのだ。
本来は辛味大根の搾り汁のみに焼き味噌を溶いて喰べる。
同じ伊那市の高遠では高遠蕎麦の名で、北信の更埴(現:千曲市)ではおしぼりそば・うどんの名で同じような喰べ方をする。
この高遠蕎麦を巡る数奇な物語については以前概説したので興味のある方は御覧あれ。
辛味大根は山葵とはまた違ったピリッとした辛味がある。
細い蕎麦だと大根に負けてしまいかねない。
太打の蕎麦の歯応えと焼き味噌の素朴な風味、辛味大根の刺激は一種豪快な味わいを生み出す。
無骨な蕎麦は洗練された蕎麦と違った趣がある。
蕎麦湯で普通の蕎麦ツユと行者そばのツユを両方楽しむ。どちらも個性があっていいね。
冷たい蕎麦で冷えた体を、蕎麦湯で温める、これこそが蕎麦喰ひの醍醐味です。
折角ここまで来たのでちょっと寄り道。
自動車で1-2分上まで登ると駒嶽神社が右手にある。
最初見落として結構上まで行ってしまった。
夏タイヤだったので雪には少し焦った。
小黒川キャンプ場まで行ってしまうと行き過ぎなので注意。
此処の境内には「行者そば発祥の碑」が建立されている。
西暦700年頃役小角(えんのおづぬ)がこの一体で修行をしていた折、この地の人々に手厚くもてなされ、礼として一握りの蕎麦の実を置いていった。この蕎麦を守り伝えていくうちに信州に蕎麦が広まっていったという由来が書かれている。
行者というのは勿論、役小角を指しているのはいうまでも無い。
Wikipedia等によると蕎麦は最初蕎麦掻(蕎麦粉で作ったすいとんをイメージされたし)として喰べられていた。
所謂麺類としての蕎麦の形(蕎麦切り、切り蕎麦)になったのは信州の地という説があり、行者そばというか日本蕎麦の発祥を主張している碑なのである。
梅庵で蕎麦を堪能した後はこの碑の前で思いを馳せるのも良いだろう。
帰りは来た道を下るのだが、途中のY字路は左方向へ進もう。
何となく右に入ってしまいがちだが、これは来た道と違う。
右に入ってしまったら道路の下を潜る直前に左に曲がる交差点があるのでここから広域農道に復帰することができる。
私が麺好きなのは、やはり中身がオッサンだから?(;^_^A アセアセ
干し柿を吊した光景、懐かしいですねぇ♪
by hatsune (2013-03-29 21:26)
hatsuneさん。こんにちわ。
日本人は老若男女問わず麺好きが多いですね。
同僚に昼は必ず麺料理という御仁が2人もいます。
お店のロケーションは田舎の風情があってよいのですが車かタクシーで無いといきずらいです。
駅から散策がてらいけると尚良いとおもいます。
by punchiti (2013-03-30 16:08)